2014年4月27日に米国モンタナ州ミズーラの田舎町で、ドイツ人の交換留学生Diren Dede君(17)がもう一人の留学生と散歩中に民家のガレージに侵入し、家主のMarkus Kaarmaに銃殺される事件が発生しています。殺人罪で起訴されたKaarma被告は正当防衛を主張しており現在は保釈中で裁判は2015年1月に行われる予定です。(注1)
交換留学生が銃の犠牲になったといえば、1992年に米国ルイジアナ州バトンルージュで 日本人留学生の服部剛丈君が訪問する家を間違ったために家主に射殺された事件が思い出されます。(注2) そして今回の出来事も普段は静かなアメリカの田舎町で夜間に二人で出かけて事件が起きており、またしても同じ悲劇が繰り返されてしまったのです。
さて、この事件は1992年の事件の教訓を生かすことができているのだろうかという疑問を投げかけます。 答えは「ノー」と言わざるを得ません。留学生が銃社会における安全確保の仕方を学び、アメリカの銃文化を考える上で布石となるべき服部君の事件でしたが、ここでは事件の「教訓を生かす」とは具体的にはどういうことなのかを私なりに考えてみたいと思います。
服部君の事件の教訓を十分に生かすことができていない理由は、このような事件を考える際に、誰あるいは何が悪かったのかに終始するあまり、留学生の不注意や過失を指摘する意見と、アメリカの銃社会への非難という、これら二つの支配的な見方にとどまってしまうからではないでしょうか。今回の事件に関する海外でのコメントでも(このニュースは日本ではスルーされている)ドイツ人留学生の不注意を指摘するものと、アメリカの銃社会を非難するものとの、大きくふたつに分かれています。(その他Castle Doctrineや正当防衛についても書かれていますが) 事件がどのような過程で起こったのかを知ることはもちろん必要ですが、事件発生時の留学生の行動にばかり注目していては、高校生の交換留学が教育提供プログラムであり、その教育過程の中で留学生の命を守ることができなかったという、プログラムの構造的な問題に目を向けることはできません。
私のサイトでは留学斡旋団体が留学に伴う危険性や問題点を十分に留学生に伝えていないことを指摘してきました。しかしこれまで服部君の事件に直接言及しなかったのは、一方で銃社会における安全確保の重要性を留学団体側が留学生にしっかりと教育してこなかったのではないかという指摘をすると、 アメリカの銃文化に対して問題意識を持てなくなり、 他方で留学生が射殺されるという悲劇を引き起こした原因をアメリカの銃文化だけに求めると、渡航先での安全確保に必要な最低限の事前教育や渡航中のケアが十分ではないという問題に向き合うことが難しくなるからです。 (事件当時、服部君と行動を共にしていたアメリカ人ホストブラザーは危険を察知して身を伏せている)
例えば服部君の事件がその後のアメリカの銃規制運動へと発展していった過程で、銃規制にのみスポットライトが当たり、実際に服部君を派遣した留学団体や留学プログラムに対して目が向けられることはありませんでした。 2012年に開催されたイベント『服部君事件から20年~銃社会アメリカのいま』についても、留学団体AFSがHP上で掲載してはいるものの、アメリカから銃をなくそうというメッセージだけに焦点が当てられ、そこからは生徒を海外に送り出す側としての反省や悲劇を繰り返さないための留学生の安全確保という教育的な意図を窺い知ることはできませんでした。
とくに服部君の事件や今回の事件を一般的な射殺事件として捉えるだけでは不十分なのは、高校生の交換留学における射殺事件は、銃社会が生み出した悲劇であると同時に、交換留学という教育プログラムがはらむリスク(=ここではアメリカ留学で銃殺される危険性)をプログラム自体が回避できなかった結果とも考えられるからです。そしてこのことは銃によって命を落としてはいないけれど、性的被害やネグレクト虐待、高校生の交換留学では本来あるはずのない金銭問題から生じる様々なトラブル等によって、自死寸前まで追い詰められている子供がいることと無関係ではないと思われます。
(注1)ドイツ人留学生射殺事件
(注2)日本人留学生射殺事件について
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