留学生活が意義あるものになるかどうかは、留学生自身の努力や忍耐力に拠るところが大きいと思います。しかし留学団体側の運営が本来の留学理念から離れてしまっているとしたらどうでしょうか? これまでのように、そしてこれからも運悪く犠牲になる子供たちの上に高校交換留学制度が成り立っていくとしたら、そこに大人としての誇り(プライド)はないように思えます。ましてや今のままでは将来に向けての希望も見出すことができません。留学事業に関わる大人たちが覚悟を持ってこの問題に取り組み抜本的な改善がなされない限り明るい将来は見えてこないのです。それでは、ある大手留学団体はどのようにして設立され活動するに至ったのでしょうか。 今回の掲載について心よく承諾いただいた方からの補足説明及びコメントも合わせて以下に紹介します。(お断り:以下の紹介記事は批判対象にあたらない、提供者の意志を尊重する意味においても留学団体名はそのままにしました)
<日本YFU20周年記念文集(昭和54年)「日本YFU解散に際して」日本YFU会長・篠原亀之輔より抜粋> 日本YFUが、どのようにして設立されたか、そして如何に活動したかは今でも折にふれ御伝えしたので読者はご存知のことと思います。然し、ほかの都合で聞き漏らした方もないとも云えないので、先ずその概略を申し上げます。 この“きっかけ”は1957年の夏、東京で“世界原子爆弾禁止”と銘打った大会が催された折、己存の米国YFUの理事であったキリスト教徒のDelamater氏が、この大会に出席すべく来日し、私の家に滞在することになった。そして、夕食後の雑談の中の“世界平和の実現の第一段階は今後の世界を担う各国が毎年男女を交換し、1ヵ年頃迄当国の家庭の一員となり、且その地域の高校の生徒となって同輩らで友情を交換することである”との米国YFU創立者Ebery牧師の先見に私達は深い感銘をうけたことです。かくして1958年夏私達の長女、優理子が最初の交換学生となり、然しこれは私的な交換と云うべきものでした。1963年の桜花爛漫の春、Mr.Delamaterは夫人と共に再び来日し、吾が国も日本YFUを創立することを勧められ、この時までに私的に子女を米国YFUに送った父母が集まって初めて日本YFUの組織を創立したのです。出席者は次の方々でした。デラマーター、市浦、中山、高木、高野、丹沢、篠原、その他デラマーター氏の知人2.3名。ここで御承知おき頂きたいことは、米国家庭及び学校が全くの無報酬で吾々の派遣学生の面倒をみて下さる好意に答える如く、全ての活動を全くの無給で快く運営して下さったことです。この無給奉仕の精神は日本YFU解散の日に至るまで貫かれたことは感謝の至りでもあり、且世間に誇り得るものと私は信じております。勿論、日本YFUが時と共に発展するに伴って事務所の設定、常時勤務員の雇用、日本からの交換学生の渡米、帰国の監視員の旅費までも含む個人奉仕は期待できないので、これ等に要する実費だけは日本YFU負担とし、来日交換学生の滞在の生活費は受入家庭の負担とした。また、米国YFUの幹部の方との来訪時に催した歓迎等は、多くの場合、会員の無料奉仕により行いました。かかる際に心からなる奉仕をして下さった多くの会員及び帰国学生に対して厚く御礼申し上げます。あまつさえ、1968年頃米国YFUが、一方経営難に陥り、他方交換学生の数の増大に伴う事務所の拡大に迫られていることをしり、進んで金百万円の御寄付を自発的になさって下さった多数の会員の友情の送りは、私の生涯忘れ得ない美挙でありました。然し、残念にも、これに対して米国YFUからは何等の通知にも接しなかった。恐らく当時の米国YFUがその復旧に忙しかった故と思います。
[補足説明及びコメント] 私たちがお世話になった「日本YFU」が解散する前後に、「YFU日本協会」が立ち上がり、日本に於けるYFU活動は継続され、現在は「YFU国際交流日本財団」に引き継がれている。 篠原氏が、当時、米国YFUから受けた「仕打ち」は、察するに余りある。無報酬で活動をされていた氏らが、YFU活動を継続する理由は、どこにもなかったと思う。 あくまでも、米国と日本のYFU組織は対等であるという活動の創始の思想から考えれば当たり前であったと思う。 当時の日本YFUの活動が全て肯定されるものかどうかは、また別の問題であり、検証も必要かと思う(概ね、問題がなかったと思う)が、それは現在の財団の置かれている状況とは別の次元かと考える。 しかし、“世界平和の実現の第一段階は今後の世界を担う各国が毎年男女を交換し、1カ年頃迄当国の家庭の一員となり、且その地域の高校の生徒となって同輩らで友情を交換することである”という思想は尊重すべき点。 まさしく、Youth For Understandingそのものである。このことがYFUなのだ。ここから逸脱した活動は、決してYFUの活動ではない。 是非、現在の活動を支えておられる方々には、この点を自覚をもって、これからの留学生を送り出してもらいたいと切に願う次第である。 我々が留学する前に受けたオリエンなどでは、いかにトラブルがあったかを聞かされた。いろいろな場面のトラブルだった。 実際、そんなにトラブルがあるなら、なぜ、留学しなければならないのか?と悩んだ時期もあった。 だから、離日の時の空港での風景やジェット機内の風景が忘れられない。非常に複雑な気持ちだった。明らかに「死」を覚悟した時間だった。 現地では生活することに必死だったが、まかり間違えれば死んでいたかも?と思う場面には数回遭遇している。 後になって、確かにトラブルというのは、どこでも起こりうることだと痛感したものだ。 さて、色々とある留学組織は、今こそ、これから留学しようとする学生に対し過去のトラブルを説明すべきである。 世界中で、混沌としだ時代を迎えており、トラブルの質も大きく変わってきている。また、悲惨さも増加している。 だからこそ、肌の色の違う若い若人の笑顔の写真などを載せることも必要かもしれない。が、本当に必要なのは、留学することの意義と覚悟を持たせることである。 決して、留学はパラダイスなどではない。今までの自分の人生を賭けて、まったく異なる生活環境で生活することの意義を理解させなければならない。 その一方で、トラブルに遭う可能性に対しての覚悟を促す必要を感じる。「ちょっと、そこまで」留学を避けさせなければならないと思う。 受け入れ先の整備・準備不足は致命的な欠陥になる可能性は大。日本の送り出し側の不断の要求が必要になります。 この問題の微妙なところは、たとえ受け入れ先の整備がしっかりしていても、それでもトラブルは発生する可能性があるということです。なぜならば、日本にいてもトラブルは発生するわけですから。 ただ、留学組織は、それを良いことにしないことです。それが隠れ蓑的にならないように努力を払わなければなりません。
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